スィーツバイブル

見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
詩編34:9

カテゴリ:バイブルスタディー > メシアの生涯:オリーブ山での説教

こんにちわ~ 

今日も聖書の学びをご一緒にすることとします。




今、ずーっとイエス様がオリーブ山で弟子たちに将来怒ることについて語られましたが、それが聖書の他の箇所でどのように記されているのか、それについて、前回に続いて今日も学ぶこととします。




今日は、イエス様は患難時代の前半に起こる出来事のしるしについて語られましたが、その2番目のしるしは「偽預言者の出現」ということでした。

この「偽預言者たちの出現」を旧約聖書のゼカリヤ書に記されている預言と比較したいと思います。






☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★

ゼカリヤ13:1~2
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
その日、ー万軍の【主】の御告げーわたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★






その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

この箇所の冒頭に「その日」とありますね。

これは終わりの日のことを言っています。

で、この時に「ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」とありますね。



その時のエルサレムの状態は罪と汚れで充ち満ちた状態でした。だからそのエルサレムをきよめるということで、「きよめる」という言葉が出て来ているんです。

逆に言えば、そうじゃなかったらきよめる必要はないですよね。


「ダビデの家」とはユダヤ人のことです。「エルサレムの住民」も同じユダヤ人です。

罪と汚れに浸かりきっていた彼らのために、一つの泉が開かれたんです。





そのことを別な言い方で言っています。

その日、ー万軍の【主】の御告げーわたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。

つまり、罪と汚れに満ちていたその原因は偶像なんです。だからその偶像を滅ぼすと言っているんです。



その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

その預言者たちとは、偽預言者たちです。偶像に仕える預言者たちです。

「その預言者たちとその汚れの霊を除く」

つまり、エルサレムは罪と汚れで満ちており、その原因は偶像礼拝で、偽預言者たちです。

それを取り除くと、ここでゼカリヤは預言しているのです。




このようにゼカリヤ書は終わりの日におけるエルサレムの霊的状態を描写しています。

そして、それが解決されるということを預言しているんです。




オリーブ山でイエス様は「偽預言者たちが出て来る」と言われましたね。

このイエス様の語られたことは、ゼカリヤの預言と合致しているんです。




次回は、イエス様が語られた患難時代の前半に起こるしるしの三番目、「罪の増加」ということと、第二テサロニケ2章に出て来る「不法の秘密」ということとの比較をしたいと思います。

次回も主に期待して、ご一緒にみことばを味わいましょう。



祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~





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こんにちわ〜


前回まで、イエス様がオリーブ山で弟子たちに将来起こることについて語られましたが、実はこれ、ヨハネの黙示録やパウロの書簡の中に記されていることと合致するのです。

次の大患難時代の後半の出来事についての預言を学ぶ前に、イエス様が語られたことが聖書の他の箇所の中でどのように記されているかを学ぶこととします。


 

イエス様が語られた患難時代の前半の3年半に起こるしるしの1番目は「迫害の勃発」でした。

これとヨハネの黙示録の6章から出て来る七つの封印の中の「第五の封印」の内容とが関係しているのです。

 

第五の封印というのは、ヨハネの黙示録6章からヨハネが封印された巻物の封を切って教えてもらうんですが、この封印は7つあります。

その内の「第五の封印」が今日の箇所と関係しているのです。

 

そして、黙示録6章9節で「子羊が第五の封印を解いた」とありますが、封印を解いた「子羊」とはイエス様のことです。つまり復活されたイエス様です。

イエス様が一つ一つ封を切って、ヨハネにその内容を教えていかれます。

その内の5つめの巻物の封印が解かれた内容が以下に記されています。

 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

ヨハネの黙示録6:9
子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

 

この第五の封印ですが、その封印は7つあるのですが、その7つを区分すると前半の四つと後半の三つにわかれます。

ということは、第五の封印というのは、後半の1番目、最初です。

第五の封印は7つの封印の中の後半の3つの封印の中の最初で、その封印が解かれると、場面が転換しているのです。

そして、場面が転換し、天の様子が見えたのです。

 

で、天の様子を見ると、殉教者のたましいが祭壇の下にいるのが見えたのです。

この殉教者ですが、これは私たちが生きている教会時代の信者たちではありません。

これは大患難時代の中で殺された殉教者のたましいです。

教会の信者たちは既に大患難時代の前に携挙されていますから、この殉教の死にはあっていないです。

 

だから、イエス様はオリーブ山の説教の中で迫害が拡大することと、多くの者が殉教の死を遂げるということを仰いましたが、黙示録の第五の封印の内容は、その人たちのたましいが天に上り、祭壇の下に置かれているということがわかるのです。

 

このようにイエス様のおことばは黙示録のことばと調和しているのです。

 

今回はここまで、次回は大患難時代の前半の三年半に起こる第二のしるし、「偽預言者たちの出現」と調和している他の聖書箇所についてご一緒に学ぶこととします。

 

祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~





 
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こんにちわ〜

今、イエス様がオリーブ山で弟子たちに語られたメッセージについて学んでいます。

そして、その中で「再臨åのしるし」について、イエス様が語られたことをご一緒に味わっています。
 

前回まで学んだのは、以下のとおりです。

  1. 迫害の勃発
  2. 偽預言者たちの出現
  3. 罪の増加

さあ、今日は4番目で、「大韓何時台を生き延びるユダヤ人たち」です。

では早速学びましょう。



4、大患難時代を生き延びるユダヤ人たち(13節)

 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

マタイ14:13
しかし、最後まで堪え忍ぶ者は救われます。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

この「最後まで堪え忍ぶ者は救われます」というのは、大患難時代の前半だけではなく、後半まで含めた内容となっています。

つまり、大患難時代のすべての期間の話です。

 

大患難時代を生き延びたユダヤ人たちは、民族的救いを経験するようになります。

それは、大患難時代の最後にその時生きているユダヤ人全員がイエスこそメシアだと認め、涙ながらに悔い改めるようになるのです。

 

しかし、この13節だけを読むと「堪え忍んだら救われる」と読めますよね。

でも、これは生き延びたから救われるということではないのです。

もしそうだとしたら、それは業による救いになりますよね。

 

そうではありません。救いは常に「信仰と恵み」によります。

或いは「恵みと信仰」によるのです。

 

 

だから、生き延びるということは、その人は真に救われているということなのです。

このように、信仰によって救われている人たちは、最後まで堪え忍ぶことによって、自分が救われることを証明することになるという言葉なのです。

 

 

救いは常に恵みと新港に寄ります。

そして、信仰の内容は福音の三要素です。

キリストが私たちの罪のために死なれたこと
墓に葬られたこと
三日目によみがえられたこと
この3つの要素を信じ、キリストに信頼を置いている人は、救われているのです。

 

これが大患難時代を生き延びるユダヤ人たちです。

 

 

5、世界宣教(14節)

 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

マタイ24:14
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

よく、この言葉も文脈を無視して、これだけを取り上げ、私たちが頑張って伝道し、世界中の国民が自分の言葉で聖書を読むことが出来るようになったら、再臨が来るのだっていう解釈をする人がいます。

でも、そうではありません。

 

私たちは今、何を待っているのかというと、教会が天に上げられる、携挙の時を待っています。

それは何時来るかはわかりません。もしかしたら今日来るかもしれません。

 

ここで語られているのは、再臨の前のしるしです。

だから、大患難時代に入った時に、世界中に福音が宣べ伝えられる時が来るということです。

それが再臨のしるしとなるのです。

 

 

今、私たちが伝道をするのは、携挙の時が満ちるために伝道します。

しかし、この14節で語られているのはそうではないのです。

ここは携挙の後の内容ですから。

 

 

大患難時代の前半の三年半に世界宣教が行われます。

それは多くのユダヤ人が救われ、世界中に離散しているユダヤ人が宣教師として世界中に福音を伝えるのです。

 

このように、迫害はあるけれども、希望もあるということです。

 

ここまで学んで来た5つの出来事が大患難時代の前半に起こる再臨のしるしであり、これらのことが起こった後に再臨が来るのだということです。

では、大患難時代の後半に何が起こるのか、それは次回以降、またご一緒に学びましょう。

 

祝福を祈ります
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こんにちわ~

今日もみことばをご一緒に味わいましょう。


今、私たちはイエス様のオリーブ山での説教について学んでいます。

そして、これまで「世の終わりのしるしは何か」、「エルサレム崩壊のしるしは何か」ということについて、ご一緒に学びました。

そして、今「再臨のしるしは何か」ということについて、ご一緒に学んでいます。

そして、今日はその第二回目です。


前回、再臨のしるしとして、

  1. 迫害の勃発
  2. 偽預言者の出現

という、この二つが起こるんだっていうことを学びました。

そして、今日はその続きです。



3、罪の増加(12節)

第三番目のしるしは、罪の増加です。

今日においても罪は多いです。でもこの時代ははるかにすごい罪で満ちた時代となるんです。



☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

マタイ24:13
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
 




罪が増加し、人々は愛に反する行いをするようになるんです。

何故かというと、罪の広がりを抑制するような人がいなくなるからなんです。



今の時代、罪は十分満ちています。でも、それでもまだ罪の度合いを抑制する力が働いているから、これでも抑えられているんです。

その罪の度合いを抑制しているのは教会、つまりクリスチャンです。

クリスチャンが地上にいるということが、罪の抑制の働きとなっているんです。




でも、その歯止めが効かなくなって、罪が極端に拡大するということは、教会が地上からいなくなっているということなんです。

前回も言いましたが、大患難時代の前に教会、つまりクリスチャンは携挙され、地上にいなくなるんです。だから抑制する力がなくなり、歯止めが効かなくなるんです。


祝福を祈ります
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こんにちわ〜

さあ、いよいよ本題です。

今日から数回にわけて、マタイの福音書24章9~14節の箇所から、再臨の前に起こる前半の3年半に何が起こるのかということについて、ご一緒に学ぶこととします。

今日は、その中から、24章9~11節の箇所を味わうこととします。





1、迫害の勃発

この再臨のしるしですが、まず第一番目のしるしは「迫害の勃発」です。



マタイ24:9〜10
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。



そのとき

これがまず第一番目の再臨が起こる前のしるしです。

この9〜10節なんですが、「そのとき」って冒頭にありますね。

これ、すごーく大事な接続詞で、この「そのとき」という言葉で意味を誤解して理解したり、間違った解釈をしてしまったりするんです。

この「そのとき」っていう接続詞、実はすごく大切な言葉なんです。




で、「そのとき」 っていうこの接続詞なんですが、この「そのとき」っていう言葉の意味は、すぐその前の話があって、その流れで「そのとき!」って話が続くんですよね。

つまり、「そのとき」っていう言葉を使うということは、それまでの話の流れが継続しているっていうことです。




でもね、この箇所なんですが、イエス様はここで一気に2000年以上先の話を始められ、その接続詞として「そのとき」っていう言葉を使われているんです。

だってね、イエス様がこれからお話される内容は再臨のしるしなんですからね。


だから「そのとき」っていう言葉、どうなんだろうって感じるんです。





ではギリシャ語ではどうなんでしょう?

ギリシャ語では「トテ」といい、これは接続詞です。


英語の聖書の訳を見ると、「then」となっています。

でも、この「トテ」という意味は「at the time」という言い方もあります。




トテの訳、「then」という言い方と「at the time」という言い方とでは意味が違ってきますよね。

「at the time」だと「そのとき」ですが、「then」だと「それから」です。



この接続詞が「そのとき」ではなく、「それから」というと、これまでの話とは別の内容に入っていってるということになります。



日本語の新改訳聖書以外の訳はどうかというと、やっぱり「そのとき」です。

でも、現代訳聖書だけは「それから」と訳されています。





結論を言うと、このギリシャ語の「トテ」という言葉で、別の段階に、ステージに入っていっているんです。

実はこの24章9節から、イエス様は第三の質問に答えようとされているんです。

それが「再臨の前のしるし」、つまり大患難時代についての内容に入るんだっていうことなんです。



細かい話ですが、この接続詞が「そのとき」か「それから」では、意味が大きく違ってきてしまうので、ここでこのことに触れさせていただきました。

そして、文脈を見ると、ここは「そのとき」ではなく、「それから」で、次の段階に入り、新しいテーマである「再臨のしるし」についてお話されようとしているということがわかります。

ですから、私たちも、気持ちを入れ替え、再臨の前にどういうことが起こるのかということについて、ご一緒にイエス様の語られたことばに耳を傾けましょう。




さて、再臨が起こる前に大患難時代という時代が7年間あるんですが、その初めは、聖徒たちへの迫害が起こります。

そして、多くの殉教者が出るということです。

もちろん、教会史の中で殉教の死を遂げている人は沢山います。

でも、この時の殉教者は迫害の度合いは全然違います、桁外れです。比では無いです。



そして、世界諸国が聖徒たちを迫害します。

「すべての国の人々に憎まれます」ってありますね。

だから、これは今までに無かった規模での迫害が起こるっていうことです。



更に、迫害が起こると、「信仰を持っている」と言っていた人たちも、迫害を逃れようとして、信仰から離れてしまいます。

そして、他の人を密告するようになります。それは、自分が助かるため、つまり反キリストの追求から自分が逃れるために、信仰から離れたり、嘘を言ったり、人を売ったりするんです。

10節に「そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います」ってありますよね。

家族同士でも家族を密告し、憎み合うようになるのだということです。


日本でも戦時中、隣組のシステムで、戦争批判や政府や天皇批判をしたら密告され、特高に捕まえられ、拷問を受けたそうです。

この時代はもっと酷い状態で、誰も信じられない最悪の時代となるとイエス様はおっしゃっているんです。


これが第一番目の迫害の勃発の内容です。





2、偽預言者たちの出現

二番目の再臨のしるしは、「偽預言者たちの出現」です。




マタイ24:11
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。



これまでのオリーブ山の説教の内容で、「偽キリスト」という言葉が出て来ました。

そして、この24章11節では「にせ預言者」です。

また、もう一つ、新約聖書の中には「偽教師」という言葉もあります。


★偽キリスト

★偽預言者

★偽教師


この3つ、どう違うのでしょう。




まず、「偽預言者」と「偽キリスト」は違うということはよくわかります。

マタイ24章11節をご覧ください。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って多くの人を惑わすでしょう。
マタイ24:5

これが「偽キリスト」です。

この箇所は、世の終わりのしるしのところで学びました。

「偽キリストが出て来る。でもまだ世の終わり前徴ではない」 って、ここでイエス様はおっしゃいました。

こういう文脈の中で、偽キリストが出て来るということを学びました。




それに対して、今日の箇所では「偽預言者」が出て来ます。

だから、大患難時代の中の前半の3年半の中で「偽預言者」が出て来るということがわかります。




さて、「偽預言者」というのはどういう人たちなのかというと、「自分たちが神を代弁する者だ」と主張する人です。

「私は神の代理人として、神のことばを語っている」ということです。


しかし、偽者だから、彼らの預言は成就しません。


怖いのは、この偽預言者たちの言葉を聞いていると、人々の信仰は真の神から離れていったのです。


偽預言者は、もっともらしく神のことばを語るけれども、結果としては人々を神から遠ざけてしまいました。

これが偽預言者です。




基本的には、偽預言者が騙すのは、ユダヤ人たちです。

ということは、大患難時代に偽預言者が出るということは、基本的には、大患難時代はユダヤ人の苦しみの時なんです。

第二ペテロ2章1節をご覧ください。

しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。
彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。



ここで、二つの「偽」が出ています。

一つが「偽預言者」、もう一つが「偽教師」です。

この二つの偽者はどう違うのかというと、騙す対象が違うのです。

偽預言者はユダヤ人、イスラエルを欺きます。

偽教師はクリスチャン、つまり教会を欺いているのです。




だから、偽教師は、福音から外れたことを語り、そして教会を欺くのです。

それに対して、偽預言者はイスラエルを欺く者たちです。


だから、大患難時代の前半に偽預言者が出て来るというのは、つまり大患難時代は、基本的にはユダヤ的な性質を持っているということを証明している言葉なのです。





さて、ここで注意しなければいけないことがあります。

これはとってもとっても大切なこと。

ここ出イエス様が預言された大患難時代ですが、クリスチャンは大患難時代を経験しません。

このことは、別の時、将来的にヨハネの黙示録の学びをしたいと思っているので、その時に具体的に書きますが、大患難時代が起こる前、イエス様が空中に降りてきて、私たちクリスチャンを天に挙げられるんです。



そのとき、まずその時に亡くなったクリスチャンの人たちがよみがえります。

それは霊的によみがえったとか、理解不能なわけのわからない意味でではなく、肉体を身にまとってよみがえります。

そしてそのまま天に挙げられるんです。

そして、その時に生きているクリスチャンが天に挙げられます。

これを「携挙」、携え挙げられるという意味で「携挙」といいます。

私たちクリスチャンの希望は、この携挙にあるんです。


その後、大患難時代があり、そしてイエス様が王として再臨され、メシア的王国(千年王国)に入るんです。


ここを履き違えると、まるで私たちの大患難時代を経験するみたいな間違った理解となってしまいます。





それとなんですが、先ほど第二ペテロ2章の箇所で、「偽教師」という話が出ましたよね。

今日ね、偽教師、教会を欺く働きは本当に多いんです。

そして、やっかいなのは、彼らはみことばを使って欺いているんです。



じゃぁ、それに対する防御策は何か、それはみことばの学びです。

みことばを学び、理解するとき、そのような偽りかどうかがわかってきます。

お互い、みことばを慕い求め、みことばを学ぶ者とされていきましょう。



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