こんにちわ~
今日もイエス様がオリーブ山でメッセージをした内容について、ご一緒にみことばを味わうこととします。
今日は前回の続きで、3つのことをご一緒に学ぶこととします。
以下の3つです。
1、異邦人の時
では、まず「異邦人の時」ということについて、ご一緒に学びましょう。
この「異邦人の時」ですが、英語ではこういう言葉です。
「the times of the Gentiles」
「the times」、日本語には複数形の「時」が無いので単数形になっていますが、英語だと「times」と複数形になっています。
これはギリシャ語でも一緒です。
どうして複数形になっているのかというと、支配者がいろいろと代わるから、おそらくそういうことを示しているのでしょう。
この「the times of the Gentiles」という言葉は、異邦人がエルサレムを支配している期間のことを指す専門用語です。
こういうフレーズを理解していないと、オリーブ山の説教を理解することは難しいです。
この「異邦人の時」ですが、ではこれは何時から始まったのでしょうか?
神殿を最初に建てたのはソロモンでした。
でもこのソロモンの神殿は、バビロン軍によって破壊されました。
その後、敗北したイスラエルがバビロンに連れて行かれる「バビロン捕囚」は、紀元前586年でした。
実は、この時に「異邦人の時」は始まったのです。
通常、このソロモンの神殿が崩壊して以降が「異邦人の時」であると言いますが、別な言い方をすると、ダビデの子孫がエルサレムで王位に就くことが無くなったということを現しています。
ということは、この「異邦人の時」が終わる時は何時かというと、ダビデの子孫が王として戻って来た時です。
じゃぁ、何時、ダビデの子孫が王として来るんでしょう?
そう、再臨の時です。
つまり、イエス様が帰って来られる時は、ダビデの子孫として、ダビデの子としての王としての再臨なんです。
そして、この時、「異邦人の時」は終わるんです。
ということは、今、この時も、この「異邦人の時」は続いているんです。
1967年以降、イスラエルはエルサレムを再統一したと言われています。
しかし、まだ「異邦人の時」は終わっていないんです。
というのは、まだダビデの王位に就く方が戻って来ていないからです。
更に、大患難時代に入っても、異邦人の時は続いています。
第一神殿が、バビロン捕囚の時に滅びました。
第二神殿が、ローマによって紀元70年に滅びました。
実は、これが全く同じ日に起こったと、ユダヤ人たちは言っています。
これって、歴史上の偶然か、神様の導きか、神様の御心の中でのことだったっていうことなんでしょうね。
この日のことを「ティシャ・ベ・アヴ」といいます。
アヴの月の9日という意味です。
アヴというのは夏で、7~8月です。
だから、このティシャ・ベ・アヴは7月中旬から8月上旬くらいの中のどこかに収まるんです。
ユダヤ人たちは、このティシャ・ベ・アヴが来ると、神の裁きと嘆きを思い出す、悔い改めをする日としています。
聖書の中には、ユダヤの祭りが書かれていますが、このティシャ・ベ・アヴは書かれていません。
それは、新約聖書の黙示録がまだ書かれていませんが、それ以外のものが全部書かれた以降の時代に始まった祭りだからです。
だから、当然聖書には書かれていないんですが、でも、ユダヤ人たちはティシャ・ベ・アヴを今でも記念し、この日を祭りとしています。
ここで注意ですが、「祭り」というと華やかで楽しいイメージがありますが、でもね、このティシャ・ベ・アヴは、特別は喜びの意味での祭りじゃなくて、悲しみの日としての祭りです。
最近の世論調査でも、若い世代でもこのティシャ・ベ・アヴを祝うことには十分な意味があるという意見を持っています。
だから、今でも紀元70年の神殿崩壊、或いはその前のバビロン捕囚による神殿崩壊は、ユダヤ人の記憶の中に留められているんです。
このように、「異邦人の時」は今も続いています。
エルサレムにはまだ、ダビデの子が王として君臨していないからです。
2、異邦人の富
続いて、「異邦人の富」ということについて、ご一緒に学びましょう。
この「異邦人の富」ですが、この言葉はどこから出て来るのかというと、ローマ人への手紙11章12節から出て来る言葉です。
これはパウロが書いている内容なんですが、その文脈を見ながら説明するとこうなります。
ユダヤ人は躓きました。それが、ここに書かれている「彼らの違反」ということです。
そして、このユダヤ人の躓きという違反の結果、それが世界の富となったんだということです。
これってどういうことなんでしょう?
次を見てください。
「彼らの失敗が」とありますが、この「失敗」という言葉の意味も「イエス様を拒否した」ということです。
それが異邦人の富となるとあります。
ここで「世界の富」とか「異邦人の富」とありますね。これは同じ事を言っているんです。
これはヘブル的文学形式で、対句法なんです。同じ事を違った言葉で言っているんです。
つまり、ユダヤ人は滅びたけれども、それは無駄では無かった。何故かというと、その結果、異邦人が富を受けるようになったということです。
福音に敵対したユダヤ人は一時的に福音を失いました。
何故かというと、「彼らの完成は」って書いてありますね。
そう、将来、ユダヤ人は完成されるんです。
だけど、一時的に祝福を失ってしまいました。その結果、信仰を持った異邦人が多くの祝福を神様から受けるようになったんです。
私たちは、ユダヤ人が躓いた富を受けるようになったんです。祝福を受けるようになったんです。
英語では「the riches of the Gentiles」とあります。
the riches」、複数形です。
では、どんな富をもらったんでしょうか?
「やがて現されようとされる栄光に比べれば、今の苦難は取るに足りません」というような、素晴らしい富を私たちは頂いたんです。
私たちは、異邦人の富を、神様から沢山頂いたんです。ハレルヤ!
イエス様がオリーブ山の上でこのメッセージを語りながら、エルサレムの崩壊を預言し、ユダヤ人たちが民族的にメシアを拒否する悲劇を語っている時に、その側面では、私たちが受けるべき祝福のことを見ておられるんです。
だから、このオリーブ山の説教の裏側にある、この「異邦人の富」ということについて、私たちは見逃すわけにはいかないんです。
3、異邦人の完成のなる時
「イスラエル人の一部がかたくなになった」とあります。全部じゃ無いんです。
というのは、前回学びましたよね、10万人のメシアニック・ジューがぺらペラに逃れるほどに、メシアニック・ジューの人たちの数は多かったんですから、全部じゃないんです。
だから、イスラエル人の一部がかたくなになったんだって、パウロは言っているんです。
この文脈の中で、そうやってイスラエル人の一部の人たちがかたくなになっているのは、異邦人の完成のなる時までだって言っています。
ということは、異邦人の完成のなる時が来たら、イスラエル人がみな救われる時代が来るということなんです。
ハレルヤ、凄いですね!
そこで、この「異邦人の完成のなる時」はどういう時なんでしょう?
英語では、「the fullness of the Gentiles」、「異邦人が満たされる」となっています。
この訳は新改訳聖書からなんですが、新共同訳聖書では、こう訳されています。
「異邦人全体が救いに達するまで」
注意してください、この訳だと「異邦人が全員救われるまで」って、単純に読むと思っちゃいますが、異邦人全員が救われるということはありません。
では、口語訳聖書はどう訳されているのでしょう。
「異邦人が全部救われるに至る時まで」
これも新共同訳聖書と同じ誤解を与える訳ですね。
異邦人全員とか、異邦人が全部救われる時までという意味じゃ無くて、「救いに予定されている異邦人の救われる数が満たされた時」ということです。
つまり、私たちは、神様の決めておられる救われるべき人の数が何人かはわからない故に、伝道しているんです。
でもね、必ず最後の一人が救われる瞬間が来るんです。
その時に何が起こるんでしょう?
携挙です。
教会(この「教会」は私たちが通常言っている○○キリスト教会のあの教会ではありません。聖書的には、私たち自身が教会なんです)、この私たち救われた者たちである教会の数が満たされたからなんです。
教会の数が満ちた時、携挙が起こるんです。
携挙って、別名「空中再臨」って言って、イエス様が空中まで降りてこられ、私たち教会を天に引き上げてくださるんです。
その時はね、先に亡くなったクリスチャンがよみがえります。幽霊とかおばけじゃなくて、ちゃんと肉体を持ってよみがえるんです。
そして、その方々が空中に引き上げられます。
そして、次にその時に生きている人たちが空中に引き上げられるんです。
そして、イエス様のもとに行くんです。
クリスチャンの希望はここにあります。ハレルヤ!
このように、「異邦人の完成のなる時」っていうのは、教会の携挙のことです。
教会が地上から天に挙げられたら、じゃぁ、残された人たち、またその後、世界はどうなるんでしょう?
世界は患難時代に入ります。
そして、この患難時代の最後にイスラエル人の人たちが全員悔い改め、救われる日が来るんです。
イスラエルが救われて、「主の御名によって来られる方に栄光あれ」とユダヤ人が祈ったとき、メシアであるイエス様が王としてこの地に帰って来られるんです。
この時、「異邦人の時」は終わるんです。
つまり、異邦人がエルサレムを支配している時が終わるんです。
次回から、メシアが再臨されるしるしについて、ご一緒に学びます。
非常に重要なテーマなので、ご一緒に主に期待し、学び、携挙を、そして主のご再臨を待ち望みましょう。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
今日もイエス様がオリーブ山でメッセージをした内容について、ご一緒にみことばを味わうこととします。
今日は前回の続きで、3つのことをご一緒に学ぶこととします。
以下の3つです。
- 異邦人の時
- 異邦人の富
- 3、異邦人の完成のなる日
1、異邦人の時
では、まず「異邦人の時」ということについて、ご一緒に学びましょう。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
ルカ2 1:24
人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
この「異邦人の時」ですが、英語ではこういう言葉です。
「the times of the Gentiles」
「the times」、日本語には複数形の「時」が無いので単数形になっていますが、英語だと「times」と複数形になっています。
これはギリシャ語でも一緒です。
どうして複数形になっているのかというと、支配者がいろいろと代わるから、おそらくそういうことを示しているのでしょう。
この「the times of the Gentiles」という言葉は、異邦人がエルサレムを支配している期間のことを指す専門用語です。
こういうフレーズを理解していないと、オリーブ山の説教を理解することは難しいです。
この「異邦人の時」ですが、ではこれは何時から始まったのでしょうか?
神殿を最初に建てたのはソロモンでした。
でもこのソロモンの神殿は、バビロン軍によって破壊されました。
その後、敗北したイスラエルがバビロンに連れて行かれる「バビロン捕囚」は、紀元前586年でした。
実は、この時に「異邦人の時」は始まったのです。
通常、このソロモンの神殿が崩壊して以降が「異邦人の時」であると言いますが、別な言い方をすると、ダビデの子孫がエルサレムで王位に就くことが無くなったということを現しています。
ということは、この「異邦人の時」が終わる時は何時かというと、ダビデの子孫が王として戻って来た時です。
じゃぁ、何時、ダビデの子孫が王として来るんでしょう?
そう、再臨の時です。
つまり、イエス様が帰って来られる時は、ダビデの子孫として、ダビデの子としての王としての再臨なんです。
そして、この時、「異邦人の時」は終わるんです。
ということは、今、この時も、この「異邦人の時」は続いているんです。
1967年以降、イスラエルはエルサレムを再統一したと言われています。
しかし、まだ「異邦人の時」は終わっていないんです。
というのは、まだダビデの王位に就く方が戻って来ていないからです。
更に、大患難時代に入っても、異邦人の時は続いています。
第一神殿が、バビロン捕囚の時に滅びました。
第二神殿が、ローマによって紀元70年に滅びました。
実は、これが全く同じ日に起こったと、ユダヤ人たちは言っています。
これって、歴史上の偶然か、神様の導きか、神様の御心の中でのことだったっていうことなんでしょうね。
この日のことを「ティシャ・ベ・アヴ」といいます。
アヴの月の9日という意味です。
アヴというのは夏で、7~8月です。
だから、このティシャ・ベ・アヴは7月中旬から8月上旬くらいの中のどこかに収まるんです。
ユダヤ人たちは、このティシャ・ベ・アヴが来ると、神の裁きと嘆きを思い出す、悔い改めをする日としています。
聖書の中には、ユダヤの祭りが書かれていますが、このティシャ・ベ・アヴは書かれていません。
それは、新約聖書の黙示録がまだ書かれていませんが、それ以外のものが全部書かれた以降の時代に始まった祭りだからです。
だから、当然聖書には書かれていないんですが、でも、ユダヤ人たちはティシャ・ベ・アヴを今でも記念し、この日を祭りとしています。
ここで注意ですが、「祭り」というと華やかで楽しいイメージがありますが、でもね、このティシャ・ベ・アヴは、特別は喜びの意味での祭りじゃなくて、悲しみの日としての祭りです。
最近の世論調査でも、若い世代でもこのティシャ・ベ・アヴを祝うことには十分な意味があるという意見を持っています。
だから、今でも紀元70年の神殿崩壊、或いはその前のバビロン捕囚による神殿崩壊は、ユダヤ人の記憶の中に留められているんです。
このように、「異邦人の時」は今も続いています。
エルサレムにはまだ、ダビデの子が王として君臨していないからです。
2、異邦人の富
続いて、「異邦人の富」ということについて、ご一緒に学びましょう。
この「異邦人の富」ですが、この言葉はどこから出て来るのかというと、ローマ人への手紙11章12節から出て来る言葉です。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
ローマ 11:12
もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるなら、彼らの感性は、それ以上の、どんなにすばらしいものを、もたらすことでしょう。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
これはパウロが書いている内容なんですが、その文脈を見ながら説明するとこうなります。
ユダヤ人は躓きました。それが、ここに書かれている「彼らの違反」ということです。
そして、このユダヤ人の躓きという違反の結果、それが世界の富となったんだということです。
これってどういうことなんでしょう?
次を見てください。
「彼らの失敗が」とありますが、この「失敗」という言葉の意味も「イエス様を拒否した」ということです。
それが異邦人の富となるとあります。
ここで「世界の富」とか「異邦人の富」とありますね。これは同じ事を言っているんです。
これはヘブル的文学形式で、対句法なんです。同じ事を違った言葉で言っているんです。
つまり、ユダヤ人は滅びたけれども、それは無駄では無かった。何故かというと、その結果、異邦人が富を受けるようになったということです。
福音に敵対したユダヤ人は一時的に福音を失いました。
何故かというと、「彼らの完成は」って書いてありますね。
そう、将来、ユダヤ人は完成されるんです。
だけど、一時的に祝福を失ってしまいました。その結果、信仰を持った異邦人が多くの祝福を神様から受けるようになったんです。
私たちは、ユダヤ人が躓いた富を受けるようになったんです。祝福を受けるようになったんです。
英語では「the riches of the Gentiles」とあります。
the riches」、複数形です。
では、どんな富をもらったんでしょうか?
- ☆罪の赦しを頂きました。
- ☆神の子と呼ばれる特権を頂きました。
- ☆心の中に聖霊を宿すようになりました。
- ☆イエス・キリストと共同相続人となり、やがて全宇宙を相続する立場に置かれるようになりました。
「やがて現されようとされる栄光に比べれば、今の苦難は取るに足りません」というような、素晴らしい富を私たちは頂いたんです。
私たちは、異邦人の富を、神様から沢山頂いたんです。ハレルヤ!
イエス様がオリーブ山の上でこのメッセージを語りながら、エルサレムの崩壊を預言し、ユダヤ人たちが民族的にメシアを拒否する悲劇を語っている時に、その側面では、私たちが受けるべき祝福のことを見ておられるんです。
だから、このオリーブ山の説教の裏側にある、この「異邦人の富」ということについて、私たちは見逃すわけにはいかないんです。
3、異邦人の完成のなる時
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
ローマ 11:25~26a
兄弟たち、私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。
それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成となる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
「イスラエル人の一部がかたくなになった」とあります。全部じゃ無いんです。
というのは、前回学びましたよね、10万人のメシアニック・ジューがぺらペラに逃れるほどに、メシアニック・ジューの人たちの数は多かったんですから、全部じゃないんです。
だから、イスラエル人の一部がかたくなになったんだって、パウロは言っているんです。
この文脈の中で、そうやってイスラエル人の一部の人たちがかたくなになっているのは、異邦人の完成のなる時までだって言っています。
ということは、異邦人の完成のなる時が来たら、イスラエル人がみな救われる時代が来るということなんです。
ハレルヤ、凄いですね!
そこで、この「異邦人の完成のなる時」はどういう時なんでしょう?
英語では、「the fullness of the Gentiles」、「異邦人が満たされる」となっています。
この訳は新改訳聖書からなんですが、新共同訳聖書では、こう訳されています。
「異邦人全体が救いに達するまで」
注意してください、この訳だと「異邦人が全員救われるまで」って、単純に読むと思っちゃいますが、異邦人全員が救われるということはありません。
では、口語訳聖書はどう訳されているのでしょう。
「異邦人が全部救われるに至る時まで」
これも新共同訳聖書と同じ誤解を与える訳ですね。
異邦人全員とか、異邦人が全部救われる時までという意味じゃ無くて、「救いに予定されている異邦人の救われる数が満たされた時」ということです。
つまり、私たちは、神様の決めておられる救われるべき人の数が何人かはわからない故に、伝道しているんです。
でもね、必ず最後の一人が救われる瞬間が来るんです。
その時に何が起こるんでしょう?
携挙です。
教会(この「教会」は私たちが通常言っている○○キリスト教会のあの教会ではありません。聖書的には、私たち自身が教会なんです)、この私たち救われた者たちである教会の数が満たされたからなんです。
教会の数が満ちた時、携挙が起こるんです。
携挙って、別名「空中再臨」って言って、イエス様が空中まで降りてこられ、私たち教会を天に引き上げてくださるんです。
その時はね、先に亡くなったクリスチャンがよみがえります。幽霊とかおばけじゃなくて、ちゃんと肉体を持ってよみがえるんです。
そして、その方々が空中に引き上げられます。
そして、次にその時に生きている人たちが空中に引き上げられるんです。
そして、イエス様のもとに行くんです。
クリスチャンの希望はここにあります。ハレルヤ!
このように、「異邦人の完成のなる時」っていうのは、教会の携挙のことです。
教会が地上から天に挙げられたら、じゃぁ、残された人たち、またその後、世界はどうなるんでしょう?
世界は患難時代に入ります。
そして、この患難時代の最後にイスラエル人の人たちが全員悔い改め、救われる日が来るんです。
イスラエルが救われて、「主の御名によって来られる方に栄光あれ」とユダヤ人が祈ったとき、メシアであるイエス様が王としてこの地に帰って来られるんです。
この時、「異邦人の時」は終わるんです。
つまり、異邦人がエルサレムを支配している時が終わるんです。
次回から、メシアが再臨されるしるしについて、ご一緒に学びます。
非常に重要なテーマなので、ご一緒に主に期待し、学び、携挙を、そして主のご再臨を待ち望みましょう。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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