こんにちわ~
今日から、バイブルスタディ、聖書の学びをこのブログを通してご一緒にしていきたいと思います。
今日からしばらくの間、イエス様のメッセージをご一緒に味わいましょう。
「オリーブ山の説教」と言われる内容なんですが、これ、イエス様の公生涯の最後、本当に十字架にかかる前の弟子たちに対するメッセージです。
イエス様はその公生涯の最後に神殿で弟子たちや群衆に対して律法学者、パリサイ人たちの問題点を語られました。
それは彼らは偽善者であるということを7つに分けて「わざわいだ」と語られました。
そして、エルサレムに向かって涙を流され、嘆かれます。その中でご自身の再臨の預言をも語られました。
その後、イエス様は神殿の献金箱に向かって座られ、人々が献金をする姿を見られました。
その中にひとりの貧しいやもめがいました。他の人々、多くのお金持ちの人たちはある中から大金を投げ入れていました。
彼らにとってそのお金は痛くも痒くもなく、「俺はこんなに熱心なんだ」って見せようとする見栄から出ています。
でも、やもめは違います。貧しい中から、今持っているお金を全部捧げたのです。
イエス様はそのやもめについて、弟子たちにこう言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」(マルコ12:43~44)
そして、イエス様は神殿から去りました。そしてこれを最後にイエス様は二度と神殿にお戻りになることはありません。
神殿を去ったイエス様は、オリーブ山に向かい、そこに座って弟子たちに説教をされます。これが「オリーブ山の説教」と言われる説教で、これから扱う内容です。
この内容はとても難しく、しかも紀元1世紀のユダヤ教の用語も出て来ます。そして特に難しいのは終末の内容です。
その内容を理解するには、当時のユダヤ人の考え方を理解して読む必要があり、そうしないで、これを現代に置き換えて読むと間違った理解になってしまいます。
なので、これからの学びは、ヘブル的に、ユダヤ的に読んでいくこととします。
さてさて、今日はその序章と言ってもいい内容で、弟子たちとイエス様との会話です。実はここからイエス様は弟子たちに非常に重要なことを語られるのです。その内容がこの「オリーブ山の説教」なんです。
では、前書きをこの辺にして、みことばをご一緒に味わいましょう。
☆★○☆★○☆★○☆★
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。(1)
神殿を去って行かれたとき、弟子たちが近寄って来て、神殿のすばらしさをイエス様に話しました。
マルコ13章1節にはもっと詳しく書かれています。
「イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。『先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう』。」
弟子たちの感動が伝わって来ますね。あまりの素晴らしさに感動して、「イエス様、イエス様~」って目をキラキラさせながら語っている弟子たちの姿が目に浮かびます。
神殿の石なんですが、その一辺が3~3.5メートル、重量は8~10トンもありました。
そして壁に使用される石は、それよりも大きかったです。
因みに「嘆きの壁」で有名な、現在のエルサレムの西壁は、神殿域を支える壁の西側の部分です。
☆★○☆★○☆★○☆★
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。
まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。(2)
イエス様、なんと感動で興奮している弟子たちに驚くべきことを言われました。
実はこの当時、神殿はまだ工事中で完成していませんでした。
第二神殿と言われているこの神殿、紀元前20年にヘロデ大王によって拡張工事が始まりました。
そして紀元64年に完成しました。なんと84年も掛かったんです!
イエス様はその工事中の神殿の壁石に対して、「石がくずれずに、積まれたまま残ることは決してない」と言われたんです。
実は、これ、現実となりました。
神殿が完成したのは紀元64年、その6年後である紀元70年に神殿は滅ぼされました。
たった6年の存在だったんです。
時のローマの将軍ティトゥスは、兵士たちに神殿を破壊しないよう、命令を下していました。
でも、ひとりの兵士がたいまつを神殿に投げ込んで、内部が焼失しちゃったんです。
その結果、内壁を覆っていた金が溶け出して、石と石の隙間に流れ込みました。
後日、その金を取り出すために、石が取りのけられたんです。
だから、現実に豪華絢爛な石はみごとに崩されてしまいました。
弟子たちのこの時の視点は、豪華絢爛な石でした。あまりの素晴らしさに感動しきっていたんです。
でも、イエス様の視点は違っていました。
なんか、すごく考えさせられますね。。。
私たちはどうでしょう。目の前の物質的な繁栄や成功などに捕らわれている間はこの弟子たちと同じです。
常にイエス様を見上げ、霊的な平安を求める者でありましょうね。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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今日から、バイブルスタディ、聖書の学びをこのブログを通してご一緒にしていきたいと思います。
今日からしばらくの間、イエス様のメッセージをご一緒に味わいましょう。
「オリーブ山の説教」と言われる内容なんですが、これ、イエス様の公生涯の最後、本当に十字架にかかる前の弟子たちに対するメッセージです。
イエス様はその公生涯の最後に神殿で弟子たちや群衆に対して律法学者、パリサイ人たちの問題点を語られました。
それは彼らは偽善者であるということを7つに分けて「わざわいだ」と語られました。
そして、エルサレムに向かって涙を流され、嘆かれます。その中でご自身の再臨の預言をも語られました。
その後、イエス様は神殿の献金箱に向かって座られ、人々が献金をする姿を見られました。
その中にひとりの貧しいやもめがいました。他の人々、多くのお金持ちの人たちはある中から大金を投げ入れていました。
彼らにとってそのお金は痛くも痒くもなく、「俺はこんなに熱心なんだ」って見せようとする見栄から出ています。
でも、やもめは違います。貧しい中から、今持っているお金を全部捧げたのです。
イエス様はそのやもめについて、弟子たちにこう言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」(マルコ12:43~44)
そして、イエス様は神殿から去りました。そしてこれを最後にイエス様は二度と神殿にお戻りになることはありません。
神殿を去ったイエス様は、オリーブ山に向かい、そこに座って弟子たちに説教をされます。これが「オリーブ山の説教」と言われる説教で、これから扱う内容です。
この内容はとても難しく、しかも紀元1世紀のユダヤ教の用語も出て来ます。そして特に難しいのは終末の内容です。
その内容を理解するには、当時のユダヤ人の考え方を理解して読む必要があり、そうしないで、これを現代に置き換えて読むと間違った理解になってしまいます。
なので、これからの学びは、ヘブル的に、ユダヤ的に読んでいくこととします。
さてさて、今日はその序章と言ってもいい内容で、弟子たちとイエス様との会話です。実はここからイエス様は弟子たちに非常に重要なことを語られるのです。その内容がこの「オリーブ山の説教」なんです。
では、前書きをこの辺にして、みことばをご一緒に味わいましょう。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
マタイ 24:1~2
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。
まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★
☆★○☆★○☆★○☆★
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。(1)
神殿を去って行かれたとき、弟子たちが近寄って来て、神殿のすばらしさをイエス様に話しました。
マルコ13章1節にはもっと詳しく書かれています。
「イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。『先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう』。」
弟子たちの感動が伝わって来ますね。あまりの素晴らしさに感動して、「イエス様、イエス様~」って目をキラキラさせながら語っている弟子たちの姿が目に浮かびます。
神殿の石なんですが、その一辺が3~3.5メートル、重量は8~10トンもありました。
そして壁に使用される石は、それよりも大きかったです。
因みに「嘆きの壁」で有名な、現在のエルサレムの西壁は、神殿域を支える壁の西側の部分です。
☆★○☆★○☆★○☆★
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。
まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。(2)
イエス様、なんと感動で興奮している弟子たちに驚くべきことを言われました。
実はこの当時、神殿はまだ工事中で完成していませんでした。
第二神殿と言われているこの神殿、紀元前20年にヘロデ大王によって拡張工事が始まりました。
そして紀元64年に完成しました。なんと84年も掛かったんです!
イエス様はその工事中の神殿の壁石に対して、「石がくずれずに、積まれたまま残ることは決してない」と言われたんです。
実は、これ、現実となりました。
神殿が完成したのは紀元64年、その6年後である紀元70年に神殿は滅ぼされました。
たった6年の存在だったんです。
時のローマの将軍ティトゥスは、兵士たちに神殿を破壊しないよう、命令を下していました。
でも、ひとりの兵士がたいまつを神殿に投げ込んで、内部が焼失しちゃったんです。
その結果、内壁を覆っていた金が溶け出して、石と石の隙間に流れ込みました。
後日、その金を取り出すために、石が取りのけられたんです。
だから、現実に豪華絢爛な石はみごとに崩されてしまいました。
弟子たちのこの時の視点は、豪華絢爛な石でした。あまりの素晴らしさに感動しきっていたんです。
でも、イエス様の視点は違っていました。
なんか、すごく考えさせられますね。。。
私たちはどうでしょう。目の前の物質的な繁栄や成功などに捕らわれている間はこの弟子たちと同じです。
常にイエス様を見上げ、霊的な平安を求める者でありましょうね。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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